Contents
キリスト教国教化
・ユダヤ人への迫害
国教化前の
キリスト使徒は迫害
ユダヤ人のナザレ派は、
使徒とパウロ達は、異邦人への伝道を始めました。
ペテロはローマで皇帝ネロの迫害により逆さ十字架にかけられて殉教した。
ヤコブは、スペインで布教・斬首され殉教者になった。
ヨハネは、パトモス島に幽閉・福音書や黙示録を記した。その他、使徒たちは、みな殉教者となった。
死を覚悟しての信仰する原始キリスト教時代であった。
キリスト教の国教化後
ユダヤ人への過酷な迫害
AD380年、多神教禁止
ナザレのイエスをメシアとするキリスト教がローマ帝国の国教となった。ローマ伝統の多神教が禁止された。ユダヤ教は多神教でなく一神教なのでこの時に迫害は受けていない。
公認キリスト教がユダヤ教徒を迫害
キリスト教は帝国内以外にも広がって世界宗教となっていった。民族宗教であるユダヤ教は異教として否定されるようになった。
聖書にもユダヤ教徒は
イエスを殺した責任を永久に負うべきであると説かれていたので、ユダヤ教徒への反感を強めていった。
マタイの福音書27章25
すると、民衆全体が答えて言った、「イエスの血の責任は、われわれとわれわれ(ユダヤ人)の子孫の上にかかってもよい」。
ローマ帝国分裂(AD395)
ゲルマンの大移動
4世紀から5世紀になると、ゲルマン諸民族がヨーロッパに勢力を拡大し、457年には東西ローマ帝国が分離し、476年に西ローマ帝国が滅亡した。以後、東ローマ帝国にローマ帝国は継承された。
中世と迫害
迫害
反ユダヤ主義者
国教のキリスト教会で行われる
キリスト教会によるユダヤ教徒への迫害
グレゴリオスは、
「ユダヤ教徒を悪魔の一味、呪われた者」と罵倒した。東ローマ帝国の総主教ヨハンネスは、「ユダヤ人は自分の腹のためだけに生きている」と罵倒した。
シナゴーグは悪魔の住まい
「神の御子を十字架に懸け、聖霊の助けを撥ねつけたのなら、シナゴーグは悪魔の住まい」だと述べた。東ローマ帝国で反ユダヤ主義の伝統が形成された。ナチスも度々、引用した。
ローマ皇帝アウグスティヌスは
ユダヤ人はイエス殺害により死に値するが、カイン同様地上を彷徨わせるべきで、再臨の時にユダヤ人は過ちを認めてキリスト教に帰依する、さもなければ悪魔の国に落ちるとし、ユダヤ人を悲惨な状態のままで生き永らえさせよと主張した。
キリスト教徒にとってのユダヤ人は、
イエスの啓示を否定するとともにイエスを殺害した特別な民族であり、ユダヤ人は神の冒涜者で世界の道徳秩序の破壊者であり、これはキリスト教文化の原理となった。中世を通じてユダヤ人への迫害は途絶えることがなかった(ウィキペディアより)
ゲルマン人国のキリスト教化
西ゴート王国
ゲルマン諸王国のキリスト教化
ゲルマン人は、ライン川の東・ドナウ川の北あたりにいた民族。 大移動後、現在のドイツ・オーストリア・オランダ・イギリス・デンマーク・スウェーデンなどに多く居住。 「German」ドイツ語風に発音すると「ゲルマン」となる。
6世紀には、ヨーロッパのゲルマン諸王国ではカトリックへの改宗が進んだ。カトリックへ改宗し、キリスト教国家となった。
十字軍時代(1096~1270)
迫害と殺戮
1096年から1270年まで、約200年間、ローマ教皇の「天国の鍵は教皇が持つ」「命の書への記載は教皇である」の発言から、東ローマ帝国と正教会の要請で、中世ヨーロッパで聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還するための十字軍の派遣が始しまった。キリスト教の敵としてイスラム教とユダヤ教があげられ、各地でユダヤ人への激しい襲撃が発生していった。
十字軍の経路
十字軍は進軍の途上も
エルサレムでも
足のひざ下まで血の海と化した。
女、子供まで、殺されたという。
追放・逃避
各国から追放され東はポーランドへ、
西はスペインへ移住
その後、スペインの国王の改宗命令から
イベリア半島のユダヤ人はオランダへ、
中央、西ヨーロッパのユダヤ人は
東ヨーロッパへと移住した。
14世紀ペスト
人口の1/3から1/2が死亡
大量死亡により人口は急激な減少
イタリア
都市国家や商業都市は人口減少や経済的混乱。フランス:農村地帯に人口の1/3から1/2が死亡。食料不足発生。イングランド:人口500万人で200万人が死亡。スペイン:イタリアやフランスよりも被害が少なかった。
ユダヤ人迫害
差別を受けていた当時において、ユダヤ人が井戸に毒を入れたとか、ペストを広めるために都市を旅するユダヤ人がいたとか、様々な陰謀説が囁かれた。ユダヤ人虐殺事件も起こった。